衣服は景観だ
衣服に興味を抱いたきっかけは、あるとき町中をあるいてたところ、私たちが着ている衣服も、建築同様に景観を構成する大切な要素だと気づいたからです。
「衣服は景観だ」と気づいてからは、自己表現の発露としての衣服ではなく、景観を美しくするという視点から生まれた土着の美意識を携えた衣服があったらいいなと思い「ほんきもの」を手掛けるに至りました。
これら衣服は、日本の美意識を私なりに解釈し、着物を再構成した新たな日本の装いです。
「ほんきもの」という言葉は、「本着物」と「本気者」を和えた造語です。
「着物」とは本来、「着るもの」を表しています。
「ほんきもの」では、本義の着物を手掛けて参ります。
洋服との相性が良く、特に羽織は、さっと羽織るだけで日本の古い街並みにも馴染みますので、神社仏閣巡りにもオススメです。
現代的な印象を持った着物ですので、伝統を大切にしつつも今の感覚を取り入れた工芸家や職人の方々に、ぜひお使い頂けたらと思っております。
歴史的に考えてみますと、現在の「着物」という概念はとても狭義の意味で捉えられています。
どういうことかと申しますと、基本的には文明開化前夜の衣服のことを指しているからです。文明開化によって着物は固有の衣服として識別する必要があり、洋服に対して和服といったレトロニムが生まれ、次第に着物にも和服の意味が反映されるようになります。和服の他にも和菓子や和傘や和家具といった言葉も同様です。異文化が急速に流入した激動の時代の流れの中で、江戸で確立された衣服を着物と呼ぶようになりました。
しかしながら、私はもっと広義の着物を手掛けたいと思っています。
つまり「着るもの」としての着物です。
着物は江戸で確立されたと前述しましたが、過去千年単位で振り返ってみますと、着物はたえず変化し続けていることが分かります。平安時代の束帯と江戸の羽織袴を比べて見ても明らかですが、むしろ「変化する衣服こそが着物」であると言えます。
平安時代では鮮卑という遊牧騎馬民族が建国した当時最先端の国であった唐と交流をした後に遣唐使を止め、広大な荘園を有する貴族を中心に栄え、かな文字が発達し和歌が盛んになり、「あはれ」「をかし」といった雅びな文化、いわゆる「国風文化」が花開きました。
衣服においては天皇より詔が出され寸法の制約を定められても耳を傾けず、貴族らの袂はどんどん大きくなり、ついには皆さんが思い描く束帯が生み出されます。
安土桃山時代には南蛮貿易によってポルトガルやスペイン等の文化流入が盛んになり、衣服においては現在着物の下着である襦袢の語源となった裾の短い下着「ジュバン(gibao=ポルトガル語)」が伝来しています。
江戸時代においては鎖国を行う中で、町人文化が興隆します。着物の形状としては袖が小さく袖口を縫い詰めた小袖が確立します。奢侈禁止令によって華美や贅沢を幕府に禁じられ、茶色、鼠色、藍色のいずれかしか身に着けられなくなってもなお、様々な色を生み出し四十八茶百鼠という言葉が生まれたほど艶やかに遊んでみせる、そんな瀟洒な生き様などをさす「粋の文化」も起こりました。
ちなみにですが、江戸で確立された小袖は、平安時代においては下着にあたります。「形式昇格」や「表衣脱皮」の原則と表されますが、衣服の歴史においては正装や普段着が変化することは常識となっています。
今の時代に、今の着物を。
これまでの時代では、異国から伝来した文化や思想を、国内のものと融和し新たなものを生み出してきました。しかしながら現代において着物姿の方は稀です。
これはご説明させて頂いたように、文明開化以降、着物とはこうだと定義づけてしまったがために、和と洋を区別して考えるようになってしまった結果、今までの時代のように融和が進まず、極端に別物として扱ってしまった経緯があるからです。
だからこそ私は、これまでの伝統のように、日本の既存の美意識や思想を根底とした上で、頂いた異国文化を融和し、今の時代における新たな着物を手掛けたいと思っております。
美とは何か
日本の美意識を私なりに解釈し再構成した着物が「ほんきもの」です。
このようにお伝えしますと「美とは何か」という根源的な問いが生まれるかとは思います。美の種類は多様であり捉えがたいのも事実ですが、美しさを感じる要因のひとつに統一感、様式美というものがあります。
ここでいう「美」とは、主に統一感、様式美をさすことといたします。
ある形式に基づいたつくりや表現が細部に至るまで統制されているとき、人は美しいと感じやすいと思います。もちろん感受性は千差万別ですので断定はできませんが、たとえば古い町並は多くの方が美しいと感じると思います。
なぜ古い町並は国や地域を問わず美しいのか、その理由を探るとすれば、私は制約が美を担保していたからだと考えています。
昔の町並が美しいと感じるのは、家を建てる際、情報にしても素材にしても作り方にしても、情報網や交通網といった壁があることで地域ごとに特定の共通項が存在し、必然的に調和のとれた建築群となりやすく、結果として町並全体としての美が生まれたと考えています。
現在の社会においては、情報も素材も作り方も、何もかもが自由になりました。
その代償として、制約によって担保されていた美を手放してしまったと感じています。
そうはいっても、全員で同じ服装をしようと促そうとは考えていません。
感覚的な話ではありますが、ローカライズした上でパーソナライズをしたらいいのではないかと思っています。
白川郷を例にあげてみますと、全体の町並はとても美しいと感じますが、近づいてみると意外にも建築それぞれは個性的です。
つまり、共通項があることで、たとえ個性の集まりになったとしても、全体としての美がそこに宿ると考えられます。
「ほんきもの」では、このような世界観を目指しています。
継承する美を定めるにあたって
ひと昔前であれば何も考えずとも制約が美を担保していた訳ですが、現在では自由であるがゆえに私たちが意識的に共通項、制約を掲げる必要があると思っています。
私としては着物に美しさを感じていますので、着物を美しく感じる理由から共通項として掲げるべき要素を見出し、その本質を現代に継承しようと考えました。
そこで、着物の美を浮かび上がらせるために洋服との対比を試みました。
主観として、それぞれ下記のような特徴があります。
(ここでは和洋の対比として洋服、和服の語を用いています)
これら比較による評価は私個人の主観による独断ではありますが、身体のアウトラインを隠し未知化した上で想像を掻き立てる着物にとても惹かれていることが分かりました。全てが明らかになっている状態よりも、すこし分からない部分があった方が、私の眼には魅力的に映るようです。
類似した事例は絵画の分野にもみられます。
細部まで書き込み忠実に現実としてあるかのように描き切る写実性の高い西洋絵画に対して、対象物を抽象化し地に余白を多く残すことで鑑賞者の想像により補完する大和絵・日本画は、異なる尺度により描かれています。
(※ここでいう西洋絵画とは主にルネサンス美術を指しています)
私は、この余白を纏う性質が着物の美に深く根付いていると感じ、身体を未知化する美意識、想像の余地のある美を継承の柱としました。
ほんきもの 特徴
羽織について
今回最もオススメするのが、この羽織です。
理由といたしましては、洋服のように簡単に着ることができ、とても簡単に未知化の美意識、想像の余地のある美を体現することができるからです。
未知化の美意識、想像の余地のある美とは私個人の主観に基づいておりますが、やはり袂という存在こそが、その美を最も印象付けている部分だと感じます。
そして、この羽織の最大の特徴は、通常は折り返す衿を省き、シンプルな装飾のない襟元にしたことです。それに伴って乳をボタンに変更いたしました。このボタンは独特の光沢感のある黒蝶貝を採用しています。
そして人形と呼ばれる袖の構造を取り入れていることも特徴です。
人形とは脇の下にスリットを入れて縫い付けている部分のことをさします。
本来であれば羽織にはない構造ですが、人形を採用することでリュックを背負うことが可能になっています。
私自身がリュックを背負うことが多く、どうしてもこの構造は取り入れたい部分でした。着物の常識を優先するのではなく、今着たいかどうかを優先しています。
機動性を高めるために、両脇に大きくスリットを入れているのも特徴です。
「日本の伝統美を纏う」
そんな感覚で取り入れて頂けましたら幸いです。
正装感を意識して手掛けておりますので、伝統工芸や伝統美術に携わっている方の展示販売会等の衣装としてもオススメです。
とくに、伝統を守っているだけではなく、現代的な感覚も取り入れた作品を手掛けられている方には、ぜひともお召し頂きたく思います。
神社仏閣めぐりがお好きな方にも、洋服の上からでもお召し頂けたらと思っております。羽織は襟元がすっきりしていますので、シャツとの相性も良く自然に馴染みます。
発案のきっかけとなったひとつに、古い町並みや神社仏閣へ訪れた際に、この場にいる人々が着物を着ていたら、どんなに景観が美しいだろうと想像した経緯があります。
しかしながら、私自身も毎日のように洋服を着ており着物を強要することなどできません。だかこそ、気軽に取り入れられる現今の着物として、この羽織をご提案させて頂きました。
さっと羽織り、日本の伝統文化に触れて頂けましたら幸いです。
色に関しましては銀鼠と黒をご用意いたしました。
素材は表地綿100%、裏地はキュプラ100%となっております。
(裏地のキュプラはいずれも深い赤系の色です)
縫製、生産に関しましては羽織、袍、筒袖、袴、リュックすべて国内にて行っており、生地も国産の生地にこだわっております。一点、念のためお伝えいたしますが正絹ではございません。予めご了承くださいませ。
また、色に関しましては私の感覚値として銀鼠と称させて頂いております。
若干青みがかった、ほどよい光沢のある鼠色です。
ディスプレイの色との相違がある可能でもあります。ご了承ください。
色で迷われた場合は黒の方が汎用性が高くオススメです。
袍について
袍(ほう)に関しましては、とても特殊な形状であるため、平安時代に纏わる職に就かれている方、もしくは平安時代が好きな方へオススメいたします。
正直に申し上げますが、現代の要素をとりいれたものの、町中を歩きますと若干目立ちます。心理的なハードルは高いです。
それでも手掛けた理由としましては、着物の美が育まれ栄えたその起源が平安にあると感じたからです。受け入れられるにはまだ早いかもしれませんし、そもそも受け入れられる世界線が訪れるかは定かではありませんが、一石を投じるという意味で手掛けさせて頂きました。
特徴といたしましては、ボタンを採用し着用のしやすさを取り入れつつも、比翼仕立てを施すことでボタンを隠し、着物らしい印象を与えています。見えなくなっているボタンもすべて黒蝶貝を採用しています。また、衿(えり)に盤領(ばんりょう)を採用しているのも束帯の印象を引き継いでいる大きな特徴です。その他、現代的な生活をしやすくするために丈は短くいたしました。
色に関しましては羽織と同様に銀鼠と黒をご用意いたしました。
素材は表地綿100%、裏地はキュプラ100%となっております。
(裏地のキュプラはいずれも深い赤系の色です)
筒袖について
洋服ですよね?
そう仰る皆さまのお気持ちは分かります。
しかしながら、あえてご提案させて頂きました。
筒袖に関しましても袍と同様、コンセプトとしてご提示した側面が強いのですが、実は束帯が確立される以前は筒袖が主流でした。
当たり前の話ではありますが、平安時代では袂が長くなっていくのが特徴であり、それ前の時代では袂はまだ短かったということです。
つまり、着物は元々は現在の洋服に近しい形状であったということです。
それこそ縄文時代ほどまで遡りますと貫頭衣というTシャツのような衣服を着ていたとされていますし(諸説あり)、ベストやズボンのような衣服を着用している縄文土器も出土しています。
余談ですが、個人的には耳飾りとして博物館に所蔵されている縄文時代の出土品がボタンに見えてなりません。
すこし逸れましたが、着物の原点回帰として筒袖がラインナップにあってもいいのではないかと思った次第です。
特徴としましては袍同様に盤領を採用し、比翼仕立てを施すことでボタンを隠しています。こちらのボタンには高瀬貝を採用しました。個人的な感覚といたしまして、ボタンが見えないことで着物感が増すような気がしております。
また、本当に筒袖ですので、袖口にボタンがありません。
それでもよろしければ、ご購入頂けたらと思います。
色に関しましては、こちらの月白一色の展開としております。
素材は綿100%となっております。
袴について
着物を美しいと感じる未知化の美意識、想像の余地のある美を継承するにあたって、袴の形状もとても重要でした。着物の歴史を辿りますと、作業着を除くと大半が足の形状が分からないほどの生地で覆われていることが分かり、これら造形的特徴を取り入れることで、美の継承および体現ができるのではないかと考え、このような形状が誕生しました。
注意点といたしまして、こちらの袴は扱いがむずかしい衣服となっております。自転車は非推奨です。移動には徒歩か車、公共交通機関をご利用ください。また、お手洗いの際には慣れが必要です。慣れてしまえば普通に扱えますが、ご購入の際にはこの点を十分にご理解頂いた上でお願いいたします。
なぜこのような造形が生まれたのかをご説明させて頂きますと、束帯の特徴である裾(きょ)という、後ろに引いている長い布に着想を得ました。裾という部分が、当時貴族の間で見せるお洒落として機能していた経緯があり、とても魅力的に感じ造形として取り入れてみたいと考えました。
駒競行幸絵巻を和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアムから引用させて頂きましたが、ご覧頂くと分かりますように、平安時代の束帯では裾にそれぞれ美しい装飾が施されています。
追々ではありますが、この部分を用いて染や織で遊ぶのも面白いかなとも思っています。
全体の造形としましては、行灯袴と馬乗袴を合わせたようなイメージです。
足元はズボン状になっておりますが、中央部分はスカート状になっています。
その他の特徴といたしまして、この袴はベルトで締める特殊な構造となっております。ポケット部分はマチのような役割を果たしていまして、自由にウェストサイズを変化できます。
●着用手順
① ベルトを通す。
② 両脇をご自身のウエストに合わせる。
③ ベルトを締めて完成です。
この構造にいたった理由は、ウエストは絶えず変化するものであり、固定であることそのものがあまりよくないと感じたからです。
古来より着物は帯を締めてきた訳ですが、大きなメリットとしては体形が変化しても着ることができる点があげられます。「ほんきもの」の袴では、この構造を考案したことで、その利点を継承いたしました。
色に関しましては羽織、袍と同様に銀鼠と黒をご用意いたしました。
素材は綿100%となっております。
本革リュックについて
当初は「ほんきもの」の漫画の中に登場させた小物だったのですが、実際に自分自身が欲しくなり手掛けたものです。
特徴はその大きさです。50cm×35cmを贅沢に一枚の本革で製作しました。
通常ですと歩留まりの関係で生産性を高めるために半分のところに縫い目が入ったりポケットが付いたりするのですが、極力外観を美しくしたいと思い美観にこだわって手掛けたリュックです。結果とても高価となりましたが、ご提案する価値があると思い発表させて頂きました。
なぜこんなにも大きなサイズにしたかと申しますと、旅をする際にひとつのバックで出かけたいという想いがありました。
海外へ出かける際にもバックパックひとつで出かけるくらい、私は手荷物を増やしたくないと思っているタイプで、極力容量は多い方がいいと思っています。そうはいっても普段使いもしたい。そんな欲求を解決する絶妙なサイズ感を目指しました。
結果としてキャリーケースのように、すべて開いて展開できる構造を取り入れ、衣服を固定するための金具と紐を内側に備えるつくりとなりました。私自身、このようなリュックは見たことがなく、ずっと欲しいと思っていました。
そして衣服を持ち歩く以外の理由といたしまして、A3を持ち運びたいという願いがありました。
クリエイターの方でしたら共感頂けると思うのですが、こんなにもデータの時代になったにもかかわらず、A3の絹目調の写真用紙に高画質な印刷をして共有したい!という場面に出くわすことがあるんです。
このリュックは、そんなクリエイターの皆さまの願いも叶えるリュックとなっております。奥行きも11cmありますので、見た目以上に収納できます。
写真では筒袖と袴としていますが、羽織も袍も収納できます。しかし上着の収納はシワが気になりますので非推奨とさせてください。ご自身の責任の下ご活用くださいませ。
表地は姫路にてクロムフリーのタンニンでなめされた本革を使用し、内側は静岡県で織られた麻100%を使用しました。日本の鞄メーカーにて日本製にこだわり丁寧に製作いたします。
注意点といたしまして素材特性上、革はどうしても個体差があります。この点をご理解頂ける場合のみご注文をお願いいたします。
最後に
最後までご高覧頂きまして誠にありがとうございます。
私は和裁士でもなければ実家が呉服屋といった後ろ盾もございません。
おそらく業界から見ますと完全なる部外者です。
しかしながら、着物は私にとって大変魅力的であることは事実であり、この文化が途絶えてしまうのはもったいないと感じています。実際、着物をお召しになっている方と町中ですれ違うことは稀です。それが現状です。このような現状に対して、すこしでも寄与出来たらと思い本プロジェクトは始動しました。
展望といたしましては、今後は各地の伝統的な生地の生産地とのコラボを考えています。「これも着物」といった認識に至った暁には、業界全体が活性化するきっかけになるのではないかとも思っています。私は歴史を学んだことで、革新が伝統に成り得るということを確信しました。
世の中を変えるのは若者、よそ者、変わり者といった言葉がありますが、私自身がそのような存在になれたら幸いです。