職人あれこれ

中世の職人像を見ると、ものづくりという行為がとても尊き営みに感じてならない。日本史を学んでいく過程で「職人歌合(しょくにんうたあわせ)」という絵巻の存在を知り調べたところ、これが実に面白い。

まず顕著であるのが、当時における「職人」という言葉の定義。鎌倉時代に制作された最も初期の職人歌合である「東北院(とうほくいん)職人歌合」には、医師、陰陽師(おんようじ)、仏師(ぶっし)、経師(きょうじ)にはじまり、巫女(みこ)や盲目、博奕打(ばくちうち)と、驚くほど広域に及んでいることがわかる。つまり当時は文字通り「職業をもつ人」を指す言葉が「職人」であった。ちなみに近しい言葉である「百姓」は「多くの姓を持つ人」であり、様々な職能を担っていた人々のこと。古くにはやまとことばで「おおみたから(大御宝)」という読みも存在する誇らしき言葉だ。

医師 建保二年東北院職人歌合|ものづくりの話
医師(くすし)
狩衣(かりぎぬ)を着用。以下画像はすべて建保二年東北院職人歌合より。

現存する職人歌合(しょくにんうたあわせ)は、鎌倉時代に制作された「東北院職人歌合」の五番本と十二番本に「鶴岡放生会(つるがおかほじょうえ)職人歌合」、室町時代に制作された「三十二番職人歌合」と「七十一番職人歌合」の四種五作品があり、「歌合」という文字からもわかるように、職人が左方と右方に分かれ二人一組でつがいとなり、それぞれが和歌を詠みどちらが優れているかの判定を判者(はんじゃ)が行っている。判者はそれぞれ異なり、「東北院職人歌合」では経師(きょうじ)、「鶴岡放生会職人歌合」では神主、「三十二番職人歌合」では勧進聖(かんじんひじり)、「七十一番職人歌合」では衆議によるとされている。そして興味深いことに、これら職人歌合はすべて、貴族や僧侶が職人に成り代わり和歌を詠んでいるという。高位の貴族らが、なぜ職人に関心を持ち歌合をさせ絵巻として残したのか。

ひとつの理由として、古代の日本において、天皇や貴族と職能を有する民が近しい存在であったことが挙げられる。
細野善彦氏の職人歌合によれば、国家成立以前から存在した品部(しなべ/ともべ/しなしなのとものを/とものみやつこ)や雑戸(ざっこ)という職能民の集団は、ヤマト王権(政権/朝廷)に直属し品々を手掛け奉納しており、大化2年(646年)に発布された改新の詔(みことのり)に基づく「大化の改新」以後は、日本という国号や天皇という称号の成立とともに、品部や雑戸の多くの職能民を新しく編成し、それぞれの官司に所属させている。その中には技術を教えることを任務とした「頂上官」が存在し、後には鋳物師(いもじ)や轆轤師(ろくろし)のように「師」とされた技能指導者になる者も存在し、官職や官位を与えられ官人に昇進することも広くみられたという。これらが事実だとすれば、貴族と職人集団は関わりが深く興味が向くことも頷け、職人の身なりの美しさにも納得がいく。

陰陽師 建保二年東北院職人歌合|ものづくりの話
陰陽師(おんようじ)
衣冠(いかん)を着用。

最も好きな職人歌合である「東北院歌合」を見ると、巫女や仏師などの仏形を除けば、職人は鮮やかな着物(狩衣や直垂)を身に付け烏帽子をかぶっている。もちろん絵巻を画く際に多少の色目はあるかもしれないが、当時における職人の位や文化水準の高さを示している。また、今日的な手仕事やものづくりを象徴する職人という意味合いから考えるに、全ての職人が美しい身なりであることは、ものづくりに対する態度も関係しているように思えてならない。つまり、ものづくりという行為が神聖な営みだったのではないかと。

仏師 建保二年東北院職人歌合|ものづくりの話
仏師(ぶっし)
僧祇支(そうぎし)を着用か。
経師 建保二年東北院職人歌合|ものづくりの話
経師(きょうじ)

実際、先の研究によれば、平安時代末から鎌倉時代にかけて、職能民集団の中の主だった人々が、供御人(くごにん)・神人(じにん)・寄人(よりうど)という称号を与えられ、天皇家や神社、寺院に職能を通じて奉仕していたとある。神や仏、天皇など、人を超えた存在と繋がった人々であることから独特な特権もあり、土器造(かわらけづくり)は、原料としてどこの土地の土でも使ってよい、木地屋(中世では轆轤師)は、ある高さ以上の山の木は自由に伐ってもよいといった権利を慣習的に認められていたという。
時代を辿れば、ものづくりを神聖視する動きは縄文土器の呪術性や翡翠(ひすい)の勾玉、漆の簪(かんざし)や耳飾りといった装身具から見られるように、日本列島では縄文時代にはすでに生まれており、自然に手を加え変容することや、ものを生み出すことそのものを「人知を越える行為」という意識が精神風土として脈絡と受け継がれていたのかもしれない。
勿論、現代においてもその感覚は存在し、魂を込めるという言葉もある他、往々にして、自分の想像を上回る産物が手の中から生まれることがある。そんなときは、神とも表現すべきか、人知を超えた存在を感じ感謝したくなる感情が芽生えるものだ。

鍛冶 建保二年東北院職人歌合|ものづくりの話
鍛冶(かじ)
直垂(ひたたれ)を着用か。鍛冶の補佐として赤鬼も携わっていることは興味深い。鉄を自在に操る姿は、それほど人知を超えた技であったのだろう。
番匠 建保二年東北院職人歌合|ものづくりの話
番匠(ばんしょう)
直垂を着用。墨で直線を引いている。
刀磨 建保二年東北院職人歌合|ものづくりの話
刀磨(かたなとぎ)
鋳物師 建保二年東北院職人歌合|ものづくりの話
鋳物師(いもじ・いものし)
直垂と思われるが、作業場が高温であることから半裸となっている。
盲目 建保二年東北院職人歌合|ものづくりの話
盲目
盲目の方は絶対音感を持つ例をよく聞くが、中世においてもその特性を活かし楽器を奏でていたようだ。琵琶を持っていることから琵琶法師(びわほうし)だろう。
深草 建保二年東北院職人歌合|ものづくりの話
深草(ふかくさ)
大紋(だいもん)を着用か。深草焼きの製造販売。深草土器(ふかくさ かわらけ)は釉(うわぐすり)をかけない素焼の焼物で神事にも用いられたという。
壁塗 建保二年東北院職人歌合|ものづくりの話
壁塗(かべぬり)
直垂を崩して着用か。
莚打 建保二年東北院職人歌合|ものづくりの話
莚打(むしろうち)
塗師 建保二年東北院職人歌合|ものづくりの話
塗師(ぬし)
直垂を着用。漆刷毛や漉紙(こしがみ)と思われる道具を見るに、この頃から今日に至るまで、ほぼ同様な工程を継承していると考えられる。
檜物師 建保二年東北院職人歌合|ものづくりの話
檜物師(ひものし)
檜という字から、主にヒノキによる木工に携わっていたと思われる。後ろには三方(三宝)が見える。
針磨 建保二年東北院職人歌合|ものづくりの話
針磨(はりすり)
轆轤引 建保二年東北院職人歌合|ものづくりの話
轆轤引(ろくろひき)
今では電動轆轤が主流であるが、それらは伝統的工芸品であると同時に生活用品であることに変わりはない。つまり手工業は工芸であり工業でもある。
商人 建保二年東北院職人歌合|ものづくりの話
商人(あきびと・あきんど)
直垂に括袴(くくりはかま)を着用か。足元は脛巾(はばき)に草鞋(わらじ)。

画像は東北院職人歌合から抜粋したもの。どの職人を見ても純粋に美しいと感じる。多様でありながら一定の型が存在する、その秩序から滲み出る美もあるように思う。無論、史料は近畿から関東であるため他の地域で職人がどのようであったかは定かではない。ただし、このような姿でものづくりに携わる人々が存在したという事実が、私としてはとても誇らしい。

 

参考文献
建保職人歌合/職人歌合/職人尽歌合/建保職人歌合/東北院歌合/建保二年東北院歌合
網野善彦(1998)『日本中世の百姓と職能民』 平凡社.
岡本太郎(2005)『日本の伝統』 光文社.
網野善彦(2012)『職人歌合』 平凡社.
茂木誠(2018)『世界史とつなげて学べ 超日本史 日本人を覚醒させる教科書が教えない歴史』 KADOKAWA.