機能的価値を有したもので溢れた昨今において、ものをつくるという行為は非常にデリケートな営みになりつつある。
理由を述べるとすれば、もう便利なものはいらないからだ。器も家具も文具もパソコンも家電も、むしろ持っていないという方が珍しい社会。食料と消耗品以外は、極論何も買わなくとも生きていける。それでもなお、物質としてものをつくりつづけるのであれば、それ相応の価値が必要になる。
現時点で正しいと思う方向性は二つ。
ひとつは、社会的意義のあるものづくり。
それを創出することによって誰かが喜ぶもの、あるいは、社会全体がより良い方向へ進むであろうものづくり。奉仕の精神が感じられる意義のあるものは今後も必要だ。すべての工業製品はここを目指さなければならないとすら思っている。
もうひとつは、ただ好きだからつくるものづくり。
これは意外かもしれないけれど、好き以上に価値のあるものづくりはない。これは断言できる。もちろん、持続可能な生産構造であることが望ましい。そのうえで楽しい、面白い、ワクワクする、そんなふうに喜びの感情で携わることができたなら、それは本物だと思う。
好きこそ物の上手なれ。