日本の美意識とは何か。
この問いを正確に答えることができる人は稀だと思う。いないといった方が正しいかもしれない。なぜかといえば、そもそも日本人は明快な意味によって世の中を規定してきたのではなく、古来より言葉に言い表せないものを感じることに重きを置いてきた経緯があるから。また、「絢爛」と「わびさび」のように、一見相反するような美を認めることができる感性も持ち合わせているため「これこそが日本人の美意識」という美意識は存在しえない。
しかしながら、美意識が存在していることは確かであり、ある程度知識として理解しておくことも価値があると感じるため、日本を代表する美意識のいくつかを紹介していけたらと思う。あくまで体験や学びによって得た主観による解説であることあしからず。
【尊ぶ】
この世に存在するすべてのものは森羅万象あめつちのたまものであり、ありとあらゆるものを尊い存在として敬う、古来より受け継ぐ土着の原始的精神文化のひとつ。山や木や石といった自然物に対する崇拝をはじめ、ものや人に対しても抱く感覚であり、全国に数多と存在する祭りもに通じる、美意識を超越した日本の精神風土。
【たまう】
この世に存在するすべてのものは森羅万象あめつちのたまものであり、ありとあらゆるものを尊い存在として敬い、自らが手にした際にはいただきものとしてたまわったという感覚を想起する、古来より受け継ぐ土着の原始的精神文化のひとつ。ものづくりにおいては素材に感謝することもさることながら、特に食すことに対して強く抱く感覚であり、縄文時代より土器の文様や装飾に多大な影響を与え、社会が成熟していくなかで育まれた職人気質にも通じる、美意識を超越した日本の精神風土。
【和】
日本人をさす言葉。和とは何かを理解するには「やまとことば」で考えると分かりやすい。自らのことを「わ(私・吾・我)」と言っていたことから隣国に「倭(ワ)」と呼ばれ、奈良時代である西暦700年頃に漢字の意味を知るにつれて、より良い意味を持つ「和」を用いたと推測される。そのため、訓読みではなく音読みが「ワ」となっている。だからこそ、日本人を表す「和」の本質的な意味を理解するには「やまとことば」である訓読みが答えとなる。つまり、「やわらぎ」、「なごみ」、「あえる」ことこそ日本人の特性であり、古来より脈絡と受け継がれてきた「和」の美意識。
【間】
あらゆる日本文化に通じる基幹美。大きく分けて空間における間の美意識と、時間における間の美意識がある。絵画や文学においては描かれていない余白、書かれていない行間に趣を感じる美意識があり余情(よせい)とも繋がる。雅楽においては拍子を打つ間を意識しており、拍子と拍子のあいだに生まれた緊張感に満ちた空白に趣を感じとる習慣的特性がある。ものを置く際に、すべてに敷き詰めてしまうよりも、ある空間にぽつんと一つ置いた方が際立ち、より崇高に映る。この感覚こそが間の美意識。
【みやび】
「みや(宮)ぶ」から生まれた言葉で、平安京において花開いた貴族文化の美意識の神髄。上品かつ奥ゆかしく優雅で知的な洗練された情趣美。四季の移ろいを楽しんだ装束の襲の色目のような目に見えるものから、言葉遣いや所作にもおよび、「あはれ」や「をかし」をも含む至高の美。
【あはれ】
景色や人との関わりにおいて生じた、しみじみとした情感や哀愁に思いを馳せることを主にさすが、文脈によって多様な解釈が求められる、受け手による想像の余地を多分に含んだ美意識。この表現を多用した紫式部の源氏物語は「あはれ」の文学とされ、「をかし」と対を成す。
【をかし】
景色や人との関わりにおいて、知的な洞察によって面白みに気づき心が引かれることを主にさすが、文脈によって多様な解釈が求められる、受け手による想像の余地を多分に含んだ美意識。この表現を多用した清少納言の枕草子は「をかし」の文学とされ、「あはれ」と対を成す。
【職人気質】
多くの職人が有する独特の習慣や態度をさす美意識。自らの技術に誇りを持ち、儲けに関係なく隅々までこだわり抜く、実直で誠意に溢れる仕事をする精神文化を主にさす。根底には自然崇拝の念があり、自然の恵みに感謝し敬意を払うなど、素材に対しても礼節を重んじたものづくりを行う。平安時代に染め物職人が着物などの染め付けに用いた木製の型板である「形木(かたぎ)」が語源とされ、意志の固い職人達の「気質」を堅い「形木」とかけて「かたぎ」と呼ぶようになった。
【絢爛】
華やかで美しいさま。この美意識は言葉として運用されていた訳ではなく、歴史を俯瞰した際に浮かび上がってくる一つの潮流として存在する美であり、かつて金色であった奈良東大寺の大仏、北山文化を代表する舎利殿である金閣、織田信長が築いた安土城、豊臣秀吉が建造した黄金の茶室、徳川家康を祀る日光東照宮、平安や花魁における装束や装飾品など、質素とは対極にある煌びやかな美意識。
【花鳥風月】
四季折々の移ろいゆく草花や鳥など、目にうつり肌で感じるこの世のうるわしい風景。転じて、風物や景色を題材にした詩歌や絵を嗜み、風流な趣を味わい楽しむことを表す。能を大成した世阿弥の著書である「風姿花伝」が由来といわれ、日本の芸術文化の根源といっても過言ではない。
【幽玄】
黄泉との繋がりを彷彿とさせる、朧げで深奥な神秘性を感じる美意識。本来は仏教や老荘思想で用いられる漢語であったが、平安から鎌倉時代にかけて藤原俊成により和歌を批評する用語として用いられて以来、歌論の評語として広まり、能楽や茶道、絵画など、日本の芸術文化に深く浸透した。
【悟り】
この世の真理を体得すること。美意識に含めるかは際どいところではあるが、真理の体得は一部だとしても、多くの日本人には瞬時に察する能力、つまり空気を読み状況を悟る感受性が備わっており、そこにはある種の美意識が存在していると感じる。悟る方法は宗派により異なり、経典を唱える、写経をする、坐禅をする、公案(禅問答)に取り組むなどあるが、悟りの境地に至るにあたっては、本来修行の必要性はないと考えられ、しいて言えば、この世と向き合うひとりの時間が大切のように思われる。仏教の開祖である釈迦自身、あらゆる苦行を6年間続けた上で悟りは開けないことに気づき、その後菩提樹(ぼだいじゅ)の下で瞑想を始め、四諦八正道(したいはっしょうどう)を会得した後、悟り仏陀となった。
【禅】
禅はサンスクリット語のディヤーナを音写した禅那(ぜんな)の略で、語源としては瞑想や静慮を意味し、坐禅や禅宗をさすこともある。禅宗は南インド出身で中国大陸へ渡った達磨僧(菩提達磨:ボーディダルマ)を祖とする坐禅を基本的な修行形態とする仏教の一派であり、日本には鎌倉時代に伝えられたとされる。坐禅は古代インドで仏教以前から広く行われていた修行法の一つで、釈迦が悟りに至った行為であることから、禅宗においては経典ではなく坐禅に重きが置かれている。簡潔に言えば、姿勢を正し呼吸を整え集中し、心を静かに定めていくことで己の仏性に気づき、悟りへと向かう行為が坐禅。禅は、本来すべての人は仏であり、自分の内にある仏性に気づくことを目指すというのが大きな特徴。禅の根本思想としては「不立文字(ふりゅうもんじ)」「教外別伝(きょうげべつでん)」「直指人心(じきしにんしん)」「見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」の四聖句がある。
【数寄】
お道具を賞美し味わい、風流に心を寄せること。平安時代に色好みや風流文雅を好むことをさした「す(好)き」が、鎌倉時代には「数寄」という文字をあてて歌道の風流を意味する語として用いられ、鎌倉から室町時代にかけて舶来品の愛好者を「唐物数奇」と呼び、やがてそれらお道具を所有する「数寄者」や「数寄屋」という言葉が生まれ、茶の湯における重要な美意識となった。
【わびさび】
周囲との対比によって生まれる優劣の劣であっても謙虚に受け入れ、幸福感を得られ満ち足りる、清く質素な美意識である「わび」と、それそのものから自然に滲み出てきた風情に価値や味わいを見出し堪能できる美意識である「さび」を和えて表現した言葉。日本人の根幹を成す美意識であり「わ」は「和=私」、「さ」は「然」を当てることで理解しやすくなる。つまり、私と相手(周りの環境)の差異に生まれるありさまに美を感じる心が「わび」であり、あるがままに存在していることで生じていく趣に美を感じる心が「さび」といえる。茶の湯を連想するが村田珠光や千利休は「わび」や「さび」という言葉は用いたが「わびさび」という言葉は用いておらず、大正以降に融和した言葉として「わびさび」が広まった。
【かぶく】
異様で派手な身なりや振る舞いをすること。本来は頭を傾けることを意味したが、常識外れや異様な風体を表す言葉に変化し、そのような身なり振る舞いをする者を「かぶき者」と呼ぶようになった。潮流としては風流者(ふりゅうざ)や婆娑羅(ばさら)が挙げらる。歌舞伎の語源。
【粋】
町人文化が興隆するなかで広く伝播した、江戸時代を代表する美意識。身なりや仕草に垢抜けた色気が感じられ、浮世への寛容な態度をとる言動及び心意気や、その瀟洒な生き様。「奢侈禁止令」(しゃしきんしれい)を発令され「茶色」「鼠色」「藍色」のいずれかしか身に付けられなくなってもなお、四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねず)で艶やかに制約の中で遊んでみせたことにも、江戸の粋な一面を垣間見える。
【かわいい】
愛らしいく、いとおしいと感じる対象をめでる美意識。古語において同様な意味を有する「うつくし」が「愛し」または「美し」と表記されることから美的感覚を有する精神文化と認められ、日本を代表する美意識として据えられている。平安時代において顔がまばゆくて会うだけで照れくさく直視できないほどいとおしいことを「かほ(顔)は(映)ゆし」と表したのが起源で、短縮された形で「かはゆし」、口語では「かわゆい」となり、さらに変化し「かわいい」となった。まるいものや小さいもの、やわらかいものといった、ある程度の共通項を見出すことができるものの、ものや色、形や人やその仕草、行動など、その対象は万物におよび、「かわいい」と表現する感覚は個人の感性を拠り所としている。
日本には、あまたの美意識が存在している。