家具の学校

家具の学校に通いはじめた。
今年の4月には電気釜を購入して先月にはパソコンの買い替えと新しいCGソフトを導入し、いよいよ何屋か分からない状況ではあるけれど、僕の中では全部繋がっていて、自分自身で一品物を手掛けたいという想いと、工業デザイナーとして量産にも携わりたいという想いしかない。

一品物は本質的に豊かな生活に導く最上のものだと考えている。その一方で、高価になる上に一人しか恩恵を享受できないという側面も持っていることから、より多くの人々の生活を豊かにできるという観点において量産にも携わりたい。正直なところ大量生産の時代は終焉に向かっているのは事実。それでもなお、これは生産したいと感じるものはあり、それは製品として世に出していこうと思う。

とはいえ、自分の体はひとつしかない以上は、ある程度の分野に絞らざるを得ない。そこで思考し突き詰めた結果、一品物として手掛ける領域は「陶芸」と「木工」に定めた。これは生活の道具である「器」と「家具」が最も好きなため。そして、陶芸に関しては大学卒業後に作家さんのもとで少々携わらせて頂いた経験があったことから、学校に通うのは木工にしようと至った。木工については、学生の頃にも家具製作を行っていたのである程度は分かっているつもりではあるけれど、それらはバンドソーやディスクグラインダーなど電動工具によって制作していたものであり、素材も無垢材はほとんどなかったため、もっと伝統に通じるような手工具や木を深く学びたいという欲求がある。この想いをとにかく満たしたかった。

家具を学ぶといえば、友人が通っている上松技術専門校のような学校は理想だと思う。ただ、僕の場合は妻も子もいるため収入がある状態を維持しなければならない。羨ましいなと思いつつも、自分の置かれている状況から最善な選択は何かと思い巡らせていたところ、八王子に家具の学校があることを思い出して、これだと思った。
池袋から国分寺に引っ越して今は八王子に住んでいる。この調子だと次は山梨だと思っているけれど、しばらくは八王子。今は夢美術館の近くだから自転車で通える範囲というのもよかった。ちょうど学生の頃、大学まで坂道を自転車で駆け上がっていたので、そこもリンクしてより一層いいなと思った。

浅川橋を渡ってさらに直進し、息が上がるくらいの坂道を駆け上がったら少し下り、道なりに右に曲がった先の左手に八王子現代家具工芸学校はある。
講師の伊藤洋平さんはイギリスで家具づくりを学ばれた方で、帰国後には日本の鉋の技術等も習得され、和洋の技術を持っているという僕にとってはとても魅力的な経歴の方。
場所自体は学校というよりも工房の規模感でちょうどいい。機材は一通り揃っているので何でも出来そうな気がしてくる。道具は基本を覚えたいと思ったため学校経由でおすすめのものを一式購入させて頂いた。

学校では、はじめに鉋の研ぎ方から教えて頂いた。
やり方はシンプルで、平行に手を動かし面を平らにする。研ぎは動画も見漁って予習済みではあったけれど、実際に研ぐのは初めてだったので緊張とワクワクがすごい。
はじめに研ぎ石を3つ用意して研ぎ石同士を研磨し平らにした。2つでは面が偏りやすいとのこと。その後はひたすら刃を研いだ。
しかしながら1時間経っても刃が中々上がってこなかった。上がってこないというのは、研いだ面が刃先まで達していない状態のこと。先生いわく個体差はあるとのことで、割と刃先が浮いてしまっているものだったらしい。ただ、今になってみれば、ほんのわずかにでも深い角度で研ぎはじめていればとは思った。1度にも満たない繊細な角度ではあるけれど、その匙加減が経験なのだと思う。どう見てもベタ裏ではあるけれど、まずは研ぎ切るのが大切だと思い無心で研いだ。

研いでいると面を捉える感覚が分かってくる。明らかに砥石と刃がぴたっとした、張り付くような感覚が手に伝わってくるから、それが視覚以上に信頼できる。結局一日では裏面すらも研げなかったけれど、感覚的に理解できたのが大きかった。二日目には要領もつかみ、どうにか刃先まで面を出すことができた。

鉋 研ぎ 家具の学校

500番から始め1000番3000番を経て最後は6000番。それ以上研ぐ方もいるようだけれど、この学校の標準は6000番とのこと。

ずっと研いでいると、この行為は祈りの時間なのだなと、なんとなく思った。
仕事が喜びで喜びが仕事という世界観を描いたのはウィリアムモリス。理想郷ともいえるユートピアだよりに出てくる人々の心情に共感は多々あるけれど、日本人的な感覚で語るとするならば、大自然の恩恵を享受する儀式のような、そんな祈りの行為のような気がしてならなかった。ものづくりに携わる喜びと同様か、あるいはそれ以上に自然に敬意を表すのが職人であって、道具を整えるというのが素材に対する礼儀なのだと思う。

鉋 研ぎ 家具の学校

6時間ほど研磨して、やっと鏡のような面が生まれた。
一歩一歩、成長が目に見えて面白い。

家に帰ってから手を洗っても、なかなか爪の間の鉄粉は取れない。鉄の匂いも付いている。でも、この赤さびたような指先と汚れた手は、作り手って感じでむしろいい。

何かをはじめるっていうのは、やっぱりおもしろい。