黒楽茶碗 銘 末広 長次郎 安土桃山~江戸時代・16~17世紀

和とは何か

「和」すなわち、日本らしさ、日本的なものとは何か。

何かを見て「和っぽい」とか「日本らしいな」と感じることは誰にでもあると思う。ただし具体的に定義しようとするとなかなか掴み所がない。しかし多くの場合は明治以前の、特に江戸時代に成立したものを指すことが多い。

この理由は明白で、明治以来、西洋文化を積極的に取り入れる課程で、和○○という言葉が乱立したことに由来している。つまり、和菓子、和傘、和家具といった言葉は、明治以前の日本のものと西洋のものとを区別するために生まれた言葉であって、それまでは単に菓子、傘、家具だった。当時は日本のアイデンティティを主張するために大事な役割があったのかもしれない。しかしながらこれらが大きなきっかけとなり、その後「和」の本質的な定義から離れてしまう。和の歴史が途絶えたといっても過言ではない。

まず前提として共有しなければならないことは、一定の形式や色彩に対して限定的に「和」を見いだすことはできないということ。器ひとつを例にとっても、縄文土器も弥生土器も黒楽茶碗も有田や九谷といった地名のついた焼き物や輪島や会津といった漆器も工業的な器もすべてが日本という土地で生まれた生粋の「和」であるといえるのだから。

ではなぜ「和」が日本を表す言葉になったのか。これを解くには日本語の起源である「やまとことば(大和言葉)」、もっと簡単にいえば発音が鍵となる。

そもそも「わ」という音が日本を表すことになった経緯について。諸説あるが、本来「わたし」を意味していると言われている。すなわち、「我ら」「私」の「わ」。

倭という当て字がいつから使われていたのかは定かではないが、漢書に倭人という記述があることから後漢の時代には倭と認識されていたらしい。その「わ」の由来は、漢(あるいはそれ以前)の人々が日本列島に来た際に「われは~」という日本人の話し言葉から「わ」の人、「わ」の国としたと考えられる。ようするに当初は外からの呼び名だった。

後に「倭」とされていた国名を「日本」に変え、「倭」とされていた「わ」を「和」に置き換えるが、これはおそらく日本人が漢字の意味を知るにつれての変化であり、日のもと(日出づる処)として「日本」を国号に、同じ音でも良い意味を持つ「和」を「わ」の字に選択したと推測される。ちなみに日本神話上では紀元前660年に神武天皇が即位したとされ、「日本」という文字を採用したのは天武天皇とする説が有力。意外と知られていないが、現存する最古の国は日本だ。

以降「和」が使われるようになったわけだが、ここで大切なことは「和」という文字は、漢字の意味を理解し想いを込めた上で、日本人自身が自らを表す文字として選択したということ。つまり、「やわらぐ」「なごむ」「あえる」といった性質を、「日本人らしさ」として当時から捉えていたことになる。とても誇らしいと思うとともに、まさに言い当てていると感じる。

だから実は、ここまで長々と記述するまでもなく、辞書に出てくる「和」という漢字の意味で基本的には合っている。やわらぎ、なごみ、あえることこそ「日本」=「和」であると。

 

参考文献
谷崎潤一郎(1995)『陰翳礼讃』 中央公論新社.
飛田良文 荒尾禎秀(1997)『ことばのはじめ ことばのふるさと』 アリス館.
中西進(2008)『ひらがなでよめばわかる日本語』 新潮文庫.
森神逍遥(2015)『侘び然び幽玄のこころ:西洋哲学を超える上位意識』 星雲社.
茂木誠(2018)『世界史とつなげて学べ 超日本史 日本人を覚醒させる教科書が教えない歴史』 KADOKAWA.