ものづくりの本

町工場のこれから

ブランディングや広告を代理することは、今後一層デリケートな仕事になる。あるいは、もうなっているようにも思う。
これだけ信用が大切な時代になると、ともすればブランディングや広告を代理する行為は偽ることになりかねない。表層ばかりが良くなってしまうと、肝心な中身との差が広がってしまうこともありうる。
具体的にはウェブやグラフィック、パッケージといった最初にお客様と接触するコンテンツが特にそのように感じる。町工場でプロダクトデザインやブランディングに携わっている私の事例でいえば、町工場感のあるウェブサイトを手掛けたり、段ボールにベタの版を押しただけの素朴なパッケージで製品を梱包したりと、極力「らしさ」を演出する工夫を施しているが、こういった行為自体も私の考えでしかない訳で、本来であればやはり社長自らが方向性を明確に描き推し進めなければならない。
おそらくここが、所謂下請けをメーカーにするにあたって最も難しい部分であると思う。表面的な意味合いではなく、ものづくりの根幹をなす精神、魂が重要だと感じている。(※ここでいう「精神」「魂」とは細部へのこだわりや製品精度に対してだけではなく、生み出そうとしているその物の存在意義に対するものをも含む。)
ものづくりは基本的に能動的か受動的かのいずれかで、絶対的にいえることは、能動的でなければメーカーにはなれない。そして今の社会では「能動的」がかなり極端になり、つくる人(maker)ではなくともメーカーになれる時代となった。
こう書いてしまうと仕事をつくり出しているメーカーの方が立場上どうしても、特に日本においては偉く見られる傾向がある。しかしながら、そこで無理に受動的な町工場をメーカーにしようとすると、上記のようなことになりかねない。
そしたら町工場はどうしたら良いのか。

現時点での結論は、これまでのメーカーを目指すのではなく、拡張性の高い適応能力に秀でた特注を担うメーカーを目指すべきだと考えている。町工場の最大のメリットは、基本的に加工できる物は何でもつくるということ。これは3Dプリンタ同様に適量生産を可能とする生産形態であり、もしかしたら最も未来的なものづくりの一つかもしれない。必要とするニーズが発生してから必要なだけつくるという流れは在庫を抱えないため始めやすく、もっといえばこれまでと同じことをしていても時代が一周して最先端になるとも考えられる。もちろんこのものづくりは受動的なため、魅力的な課題を依頼主に頂けない限り良い物は生まれない。ただし、誰かには必要とされるものづくりではあるため、山積みの在庫を抱えなければならないメーカーを目指すよりも遥かに安全で堅実な道だと思う。

では、今の町工場において何を手掛けることが有益かといえば、こんな物ができますという「見本」を手掛けること。世のクリエイターが創作意欲を掻き立てられるような物を提示、提供できれば、その会社はこの社会において機能し続ける。
これは別に斬新な物や奇抜である必要はないと思っており、これをつくったらこのくらい掛かります、といった目安があるだけでもいい。欲をいえば種類ごと、わかりやすく明瞭に。少なくとも私は、そうゆう可能性を見せられると魅せられてしまう。

これからの町工場は、希望に満ちている。

 

ものづくりの本 より