ものづくりの本

能動と歴史のものづくり

平成元年生まれ。現在29歳。
2011年に大学を卒業し、社会人になって8年だから大学を二回卒業した月日になるわけだけど、あの頃のがむしゃらさはまだまだ健在だと思う。

とはいえ、学生の頃と今では見えている景色が全く異なっている。これから30という節目を迎えるにあたって、社会に出たからこそ得たこと、学んだことをすこし書いておこうと思う。

 

■能動的ものづくり

まず大きな変化は、「能動的」か「受動的」かという意識。

小学生の頃は画家や職人や発明家に憧れ、中学生の頃にデザイナーを志した。今となってはそれぞれの違いはわかるが、当時はよくわかっていなかった。ただ、自分で考えたりつくったりすることが大好きで、それを表現していると感じた言葉を将来の夢として掲げていた。要するに「能動的ものづくり」をしたいと思っていた。だから当時の理解ではデザイナーという職能は能動的であると感じていた。しかし、実際には大半のデザイナーは「受動的ものづくり」だとわかった。

《能動的》
 芸術家 美術家 工芸家 個人作家など

《受動的》
 建築家 職人 デザイナー イラストレーターなど

絶対ではないけれど、およそあてはまると思う。なぜこのようになるのか?これは出資を誰がするかが鍵となる。

学生の頃は、自分で稼いだお金を好きなだけ注ぎ込み作品を手掛けられた。つまり出資は自分であるから何をしようが自由。自分の好きなようにつくればそれでいい。これが社会に出ると大きく二通りに分かれることになる。ひとつは、そのまま自分で出資するものづくり。もうひとつは、他人に出資して頂くものづくり。
前者は引き続き自分で好きなようにつくれる自由があるが、売り上げが立つまでに時間が掛かる場合がある。後者は出資者の意図を反映させる必要もあるが、すぐに売り上げが立つ。そして現在、ものづくりに携わる大半は後者。町工場は代表例で、メーカーの為に日々製造を行っており、クライアントの為に日々デザインを行っているデザイン事務所も後者だ。

大学生の頃はがっつりプロダクトデザインを学んでいたので、それこそ老子のようだけど「水のようでありたい」とも思えるほど我はいらないと思っていた。だから卒業して仕事をするようになってからは自分の色を出すよりも、依頼主の声に耳を傾けて想いの汲み取りや、そのメーカーに相応しい形状や色合い、使い手の使用感や製造工程、コストといった制約の交点から必然的に導かれ浮かび上がってくるような工業製品をデザインしてきた。自分の名前は製品にはもちろん、パッケージにも記載していない。ただし、今では考え方が大きく変わっている。理由は簡単で、受動的なものづくりは、出資主の思想や方向性が正しくなければ良いものが生まれないから。

もし君が今学生で、ものづくりを天職として考えているのであれば、強く前者をおすすめする。即ち、「能動的ものづくり」を。
なぜならその方が楽しいから。

多くの人は社会に出ると人生の5/7を仕事にあてる。私の場合は時間の差はあれど7/7を仕事にあてている。つまり「生き方」と「仕事」が限りなく等しくなる。だから、好きなことを仕事にするべきだし、楽しく生きた方が人生を享楽できると思っている。

学生であれば時間の許す限り、自分の色が滲み出るまでものづくりに明け暮れてほしい。理由は、前述で受動的と表現した職業であっても「自分の色」があると「能動的ものづくり」になるから。図画工作も設計もデザインも、没頭したその蓄積はその後の人生にとって大きな財産になる。

 

■歴史的文脈を携えたものづくり

もう一点、社会に出てから強く意識するようになったのは「歴史」。

製品を手掛けるにあたって、そのものを置く場や使う人、使われる空間との関係を考慮することは当然として、思案する上での最優先はその土地や国の歴史だと考えている。この考えは先に挙げた「自分の色」と相反するようだけれど、共存させるべき重要な概念だと感じている。なぜなら独りよがりなものづくりは、美しくないものが生まれやすいから。

美しさの定義は人それぞれではあるけど、説明するときによく使うのは町並み。
ふだん人目に触れる最大の人工物は建築で、現在は基本的に個人や企業が自由に建てている。しかしながら、自由だから美しい町並みとなっているかといえばそうではない。どう考えても白川郷やひがし茶屋街や銀山温泉のような町並みの方が美しい。
制約の美にも書いたが、ある程度の共通項があることで全体として美しさが生まれてくる。その共通項の核となるものこそが「歴史」だ。

ちなみに白川郷の建築は合掌造りと呼ばれる建築様式だが、一軒一軒は似て非なるもの。そこには紛れもなく個性がある。全体としての調和と個性の尊重がなされたとき、美はそこに生まれている。

一点、全体としての調和と書いたものの、現状との調和を目指すのは良くない場合が多いため、一昔前、あるいは最も魅力的だと感じる時代にまで遡っての思案が理想。これは、美しくない町並みに調和する建築もまた美しくないからだ。

今は歴史的文脈と美意識とを携え、これが理想だという成果物を提示し、全体を導けるようなものづくりこそを歓迎したい。

 

ここで若干の余談。

日本列島に人の痕跡が見られるのは12-8万年前。島根県出雲市の砂原遺跡(すなばらいせき)や岩手県遠野市の金取遺跡(かなどりいせき)から石器が出土している。4~3万年前に登場する黒曜石(こくようせき)や珪質頁岩(けいしつけつがん)を素材とした局部磨製石斧(きょくぶませいせきふ)は世界最古の磨製石器としても知られ、群馬県みどり市の岩宿遺跡(いわじゅくいせき)を筆頭に日本各地で出土が確認されている。
日本の建国は紀元前660年2月11日とされ、「日本」という国号を称したのは646年に発布された改新の詔(みことのり)、いわゆる大化の改新からとされる。 現存する最古の国家という事実は、日本人として誇るべきことだと思う。
無論ここまで遡る必要があるかは別として、このような事柄の積み重ねを経てこの土地が育まれてきたという歴史は知っておく必要はあると考えている。

 

とりあえず今日はここまで。