縄文土器

岡本太郎氏の著書である「日本の伝統」は、「縄文の美」という一文からはじまる。はじめて縄文土器を強く意識したのは、この本を拝読したときだった。二度目は、友人と無計画に東北を回ったとき。たまたま立ち寄った新潟の十日町市博物館で、国宝「火焔型土器」に遭遇した。そして三度目は、現在東京国立博物館で開催されている特別展「縄文 -1万年の美の鼓動」にて。

日本の伝統」は、大学を卒業してしばらく経ったある日、タイトルに惹かれて何気なく手に取り大きな衝撃を受けた。失礼ながら岡本太郎氏については「芸術は爆発だ」くらいしか存じておらず、これほど深みのある思考を携えた方だとは思ってもみなかった。特に伝統に対する考え方においては、私自身が目指している方向性と同じベクトルだということが何よりの驚きだった。手掛けられた成果物は好みではないが、考え方には共感しかない。
この本において注目すべきは無論、日本の伝統を縄文から遡った点だ。1952年に我々日本人の源流として縄文を取り上げたことで教科書にも載るようになったらしい。当時発表した「四次元との対話 縄文土器論」は、それほど強烈で新鮮な思想だった。本書はこの考えを著者が撮影した縄文土器の写真とともに拝見できる贅沢な本でもある。ただし、目の前に縄文土器の現物があった訳ではないためリアリティーはなかった。だから私にとって縄文土器との本当の出逢いは、十日町市博物館に所蔵されている「火焔型土器」だった。

写真提供:十日町市博物館
国宝 火焔型土器:十日町市博物館 提供

直に縄文土器と対峙した感想を率直にいえば「すごい」の一言。凄みがあり、同時にワクワクする感覚があった。とにもかくにも造形力が半端ない。全体には波打つような立体的な紋様が所狭しと余白なく施され、円形の底を中心に、何か込み上げるように空へ向かってうねりながら広がり、口縁部でその激しさは頂点に達する。非対称で自由な造形のように見えて一定の規則性があり、意図的にその形を成していることが見てとれる。これら造形を成すには、まずは正確な筒の器を精度良くつくるだけの技量が必要であり、その上で三次元を完璧に把握し加飾できる視野と器用さ、そして何より造形を規定するだけの絶対的な思想を有していなければならない。おそらくこれが、岡本太郎氏のいう「四次元との対話」だ。縄文土器の造形美は、単なる個人の美意識ではなく、集落あるいはそれ以上に広域における共有の宗教的、呪術的な意味を帯びていた。狩りをして食らう。純粋なその営みの中で、命への敬意は当然だった。今日のように簡単に食べ物が手に入る社会では到底想像できない日々繰り返される生と死の狭間で、自ずと信仰の精神が育まれていったのではないか。火焔型土器ひとつを眺めるだけでも、縄文の人々は高度な技術や知恵に加えて、特有の倫理観を携えていたことが垣間見える。

東京国立博物館で開催されている縄文展では、火焔型土器や遮光器土偶はもちろんのこと、石器や漆塗りの器、鹿角製の釣針、木製のポシェットや耳飾り、石棒や動植物の土器に至るまで縄文の道具が網羅されていた。生活道具、装身具、祈りの道具は、種類は異なるものの同様な独特の雰囲気を有しており、一貫した思想によって様々な道具を生み出していったのだと感じた。またおもしろいことに、各地域で独自性の高い土器が生まれている一方で、その土地では見受けられない土器が出土している例が多々あるらしい。異系統土器や搬入土器とも呼ばれるこれら土器の存在は、まぎれもなく遠隔地との交流があった証であり、当時から異なる文化を受け入れる精神の土壌があったと考えられる。この度の展示を拝観できたことで、祖先が持ち得たであろう縄文文化における世界観の片鱗を味わうことができたように思う。
他の見方として、ビーナスや女神という名付けは西洋美術的であり当然その土偶の本当の名前ではない。この名付けからは、縄文が芸術の分野で脚光を浴びたことをうかがえる。また火焔型土器に関しては本当に火を象徴しているかはわからない。もしかしたら海の波かもしれないし、火と水を合わせたもっと抽象的な生命の象徴かもしれない。

世界の見方は自由だ。

 

参考文献
岡本太郎(2005)『日本の伝統』 光文社.