わびさびの概要

わびさびを正確に言語化することはできない。なぜかというと、哲学的に言語によって定め頭で理解をしなかったからこそ、深淵なる概念として現今まで脈絡と受け継がれてきた由縁があるから。
でも安心して頂きたいのは、日本人にはその素養がすでに育まれているし、備わっている人が多い。というより本来わびさびは日本人を指している。ちなみに「わびさび」はやまとことばであり、「侘び寂び」は当て字であるということを覚えておいてほしい。

しかし折角であればもう少し具体的に共有したいので、ここには飽くまで私の主観による概要を記載する。

 

【わび】
周囲との対比によって生まれる優劣の劣であっても謙虚に受け入れ、幸福感を得られ満ち足りる清く質素な美意識。

わびの「わ」は、本質的には自分を表している。「」の起源でもある「われ・われら」など自分自身のこと。東北出身の父いわく今でも「わ」で「私」の意味となる地域も残っているらしい。つまり「わび」は、自分(それ)の置かれている状況と回りの環境との間、差異に生まれる概念といえる。

 

【さび】
それそのものから自然に滲み出でた風情に、価値や味わいを見出だし堪能できる美意識。

さびの「さ」は本質的には然(さ)るを表している。意図的に加えるのではなく、そうなってしまったもの。つまり「さび」は、あるがままに存在していることで生じていく趣に美を感じる概念といえる。

 

 

「わび」も「さび」も物事に寛容な境地に至ることではじめて深みを感じることができる。おそらくこの感覚を海外の方へ説明するのが容易でない。他を受け入れる心、特有の道徳規範があって成立する概念であるから。また、人生経験が豊富であるほど「わびさび」という言葉に深みが増すこともご理解頂けたと思う。

超訳すれば「わびさび」は、「私であること」と同義である。

 

参考文献
谷崎潤一郎(1995)『陰翳礼讃』 中央公論新社.
中西進(2008)『ひらがなでよめばわかる日本語』 新潮文庫.
森神逍遥(2015)『侘び然び幽玄のこころ:西洋哲学を超える上位意識』 星雲社.