民藝

実用、無銘、複数、廉価、労働、地方、分業、伝統、他力。これら特性を有する民藝には「無心の美」「自然の美」「健全な美」が宿るという。

柳宗悦氏の著書を拝見すると、綴られた文章からはひしひしと伝わってくるものがあり、世の中をより良くするという想いが凄まじかったのだろうと想像する。美術工芸品が流行していた時代に雑器に美を見出し、初代の茶人の如く価値観を改めたことは今日の工芸にとって有意義であったに違いない。茶の湯や個人作家、工業製品への指摘はとても鋭く、「工藝の道」「民藝とは何か」「手仕事の日本」といった著書の数々は、ものづくりに多少なりとも携わっている方には一読の価値がある。民藝とは何かを知りたければ本人の言葉以上に確かなものはない。書籍として残された価値は大きく、多くの方々を論理的に説得できたことで工芸史における雑器は現在も高く評価されている。読み込むほどに一昔前の日本への憧れが増し、どれほど豊かな国だったのだろうかと思い巡らせるとともに、日本中で民藝が復興した暁には「美の国」となるだろうと確信する。そう思えるほど、ものづくりの理想的な概念として「民藝」を説かれている。とはいえ、発展してしまった社会において主張されていることをそのまま実現することは非現実的であり、また正直なところ民藝としてご選出された品々についても、日常生活で使いたいとは言い切れないところもある。やはり、今使いたいかという点が考慮されなければならないと思う。それこそ何が豊かなのか、何が美しいのかといった感覚的なものを共有し、理想的な欲望を育まなければならない。そして、そもそも本来むずかしくも何ともない品々のことであるということは大切にしたい。学識のない工人が生み出した品々が民藝という事実があるのだから。

哲学あるいは思想として本当に素晴らしい書籍の数々ではあるが、直観による理解こそが本質。柳氏自身も美は直観によると書かれている他、いつまでも民藝を掲げるのは民藝ではないと仰っているが、少なくとも私たちの世代は技巧に走った工芸よりも素朴な工芸の方がいいなと感覚的に共有している。気軽に普段使い出来た方がよっぽど生活が豊かになると。この意識こそが民藝運動の成果なのかもしれない。だからこそ、逆に今「民藝」という言葉や関連書籍があることによる壁が少しもったいないとすら感じる。それこそ民藝風となっては民藝ではない。「用の美」という言葉も、あまり知らない方が文字だけで理解してしまうと機能美のことのように思ってしまう。柳氏は道具としての機能だけではなく、見た目にも美しいといった精神的な充実をも包括した概念として扱っている。

本質的に言えば言葉による理解は浅はかで、結局その物から直に感じとることでしかわからない。美の感受は教典によらない禅に通じると思っており、結局は不立文字であると思う。

本物に触れよう。

 

参考文献
柳宗悦(1985)『手仕事の日本』 岩波書店.
柳宗悦(1984)『民芸四十年』 岩波文庫.
柳宗悦(2005)『工藝の道』 講談社.
柳宗悦(2006)『民藝とは何か』 講談社.