ものづくり

推定二四〇万年前、石を加工した人類最古の道具といわれる打製石器が生まれた。この道具にどれほどの利用価値があったのかは定かではないが、硬い木の実の殻を砕いて中身を食べたり、骨を割り中の骨髄をすすったりした道具であったらしい。いずれにしても、直立二足歩行によって獲得した自由になった両手がもたらした大きな成果物であったことは明白だ。この石器の登場は人類最古の時代、旧石器時代の幕開けでもある。

しかしながら、ヒトが出現した年表やその時代における道具の使い方は学者の方々の検証によって変化を伴うため、上記の情報も完全ではない。ただし、始まりがあったことだけは確約されているため、個人的には創造の起源が気になる。考えたのが先なのか、つくったのが先なのか。第三者による創造が正解であるかとも思われるが、この場では進化論として問いたい。
現時点ではつくるが先だと考えるに至った。最も初期のヒト属とされるホモ・ハビリスの脳の大きさは、私たちの半分に過ぎない。その容量で明確に形状を思考し加工を施したとは考えにくい。つくろうと考えたというよりも、動かした手が何らかの偶然が重なり石を削った、あるいは割れたと考えた方が自然な進歩であると思う。更にいえば、そもそも手を器用に動かすには鍛錬が必要だ。深い思考なく触ったり握ったりと、反復して手を動かしていたら運動神経が発達し、道具を巧みにつくれるようになったのではないか。もちろんこれらは仮説であり、石は化石として残りやすいだけであって、木のほうが最初の道具の素材として相応しい、要するに残っていないだけで木器時代のほうが適切ではないかという意見もあるため、思考の起点すら考え直す必要がある。仮にどのような素材であっても、手探りでつくりながら手で考えたのだとすれば、手考とでも表現できるかもしれない。
思考を巡らせても本当のところはわからないが、ものづくりと人類は密接に関係していることは確かだ。考古学において道具をつくり使う行為は、古代人類の存在を認めるひとつの基準であり、初のヒト属をさすホモ・ハビリスは「器用な人」と訳される。
ものづくりは人類の起源である。
ものづくりを、「ものづくり」という「やまとことば」からも迫ってみたい。
そもそも漢字が入ってくる以前は、今日のように音に当て字をしてわざわざ隔てることはなかった。日本人の文脈を辿ると、物事や事象と一音一音の響きから感じられる印象とを一致させた言葉が「やまとことば」なのだろうと想像してしまう。なぜか音読みよりも訓読みの方が、音から想像を掻き立てられ脳裏に浮かびやすい。「空」は「クウ」より「そら」や「あ」といった響きの方が何を表現しているかがわかる。「山」も「サン」より「やま」、「海」も「カイ」より「うみ」だ。ただし現代の感覚では音読みでもわかる言葉があり、「天」は「テン」のほうが「あま」「あめ」よりわかる。これはもしかしたら「おてんとさま(天道様)」や「てんこもり(天こ盛り)」など、もうすっかり「テン(天)」が御国言葉になってしまっているからかもしれない。とはいえ、やまとことばは全体的にわかりやすい言葉であることは事実であり、「あめ(雨)」は「あめ(天)」から降り「あ(空)」であるし「みず(水)」「みずうみ(湖)」「うみ(海)」にも関連性が垣間見える。漢字では異なるが、やまとことばで考えると全体にゆるやかな繋がりを感じとれる。

前述を踏まえると、「ものづくり」は「もの」を「つくる」であるから、それぞれの意味を追うことで本質的な意味が浮かび上がると考えられる。
「もの」には衣服や飲食物、人(者)といった形のある存在をはじめ、物事や様子、妖怪やもののけといった形なき霊をも含んでいる。音から考えると「も」は「似(も)」「~も」と、何かに近づけることや模写を意図する印象があり、「面(も)」「持つ」「守(も)る」からは独立した一定の価値を保有している感じがする。「藻(も)」や「もも」と続けると「百(もも)」であり数が多いことをさすことから、増える特性もあるように思う。「の」は、「野」「乃」「~の」で、「の・る」では「乗る」「宣る」「載る」であることから、あるものとの繋ぎや、のりうつる行為を表現しているように思え、「の・り」では「法」「則」と、法則や掟を示している。これらから察するに「もの」は、あるふたつ以上の存在が秩序立って合わさることで生じた新たな存在だといえるのではないかと思う。言葉あそびではあるが、「~も」「~の」という使い方ではこの文字に実態を把握することはできないが「もの」と合わさることで存在を認めることができる点や、「もの」をつくるには素材に対して意思を加えなければ形を成さないことからも妥当であるように思う。意思や発想という「もの」も、蓄積してきた異なる考えが合わさって生じると仮定すれば、まさしくありとあらゆるものは「もの」だ。
「つくる」には制作も創作も耕作や料理までも含まれている。ラ行五段活用であることから語幹の「つく」を調べると、「付く」「就く」「着く」からは、あるものに対して定着させるような情感を含んでいると考えられ、「突く」「衝く」「吐く」からは、能動的に与えたり加えたりする行為を示しているように思う。これらから察するに「つくる」は、単なる加工だけではなく、何かを付着、付加させる行為であるといえる。つくる上で加えるものといえば、日本にはとっておきの言葉がある。
まとめると、「ものづくり」という言葉から考えられる根底の意味は、「あらゆる存在を異なるふたつ以上の存在をもとに、ある考え方の体系に基づき魂を込めて生み出す行為」だと表しても過言ではない。そして、ものづくりによって生まれた「かたち」には、「神・上・日・香・個」「手・足・田」「千・地・血・父・乳」が含まれている。

ものづくりは、このうえなくおくゆかしい。

 

ものづくりの本 より