起源の想像

「ゴロゴロ ドゴーン!」と、稲光に続いて空気を裂くように雷鳴が木霊する。気温の高い夏日が多い影響からか、最近夕立が多い気がする。昼寝を妨げられた訳だが、昨日一昨日と行われた近所の祭が重なって面白い仮説を閃いた。
太鼓の音が、あまりにも雷鳴に類似している。だからきっと、雷鳴に着想を得て太鼓が生まれたのだろうと。

和太鼓の原型は縄文時代にはすでにあったとされ、太古の日本にも雷はあり、森羅万象八百万の神を信仰する思想は当時もあったのではないかと想像を膨らませる。そして、縄文時代には世界最古級とされる農耕が始まっていたため、当然恵みの雨が必要だった。これが太鼓の起源であると感じてならない。
雷と雨雲は付いてまわる近しい存在であり、雷鳴と類似した音を鳴らすことは、雨雲を司る神と人々が繋がる大切かつ神聖な行為であったのだろうと思う。やまとことばで解釈すると、雷=かみなり=神+鳴り となり腑に落ちる。今日のように天気予報などはないのだから、目の前で起こっていることが全てであり、森羅万象は神様の仕業であると確信していた。だからこそ、願いは届くと信じてやまない。そんな想いから信仰の道具が生まれるのは自然な流れだと思う。
より大きく、大地に響き轟くように。雷という自然現象を参考に、神様と繋がる道具として太古の太鼓は生まれたのだろう。

起源の想像は創造を触発する。

 

参考文献
中西進(2008)『ひらがなでよめばわかる日本語』 新潮文庫.