「工芸」と題された展示会へ行くと、並んでいる多くの作品が生活と懸け離れている、といったことがよくある。
これは分野を問わず、漆工も陶芸も竹工も金工も、大半が現在の生活の中で取り入れるのがむずかしい。
これは工芸家が美術作品と同様な価値を工芸で目指した結果であって、本来工芸を西洋の文脈における美術にするべきではなかったのではないかとすら思う。だから20年ほど前から生活工芸といった言葉が出てきたのだと思う。結局は生活の中で使われることがなければ、それら作品は観賞用の作品でしかなく、生活文化に根付くものにはならない。
もちろん明治に生まれた、この「工藝」という言葉自体が適切ではないという可能性もある。
明治6(1873)年ウィーン万博博覧会は、日本の国威を海外に掲げ輸出拡大を目指して殖産業興業をはかる博覧会であった。またジャポニズムの流行の契機となった博覧会でもある。日本では本博覧会に際して「美術」と「工藝」の言葉が新しく造語された。『工藝2020-自然と美のかたち-公式図録(2020)』
多くの言葉が明治に生まれているが、これは西洋文化を取り入れる過程で日本語にない意味合いのものを表す必要があったため。それらひとつに「工藝」がある。先日東京国立博物館で開かれた「工藝2020 自然と美のかたち」という展示会の図録には、一般の専門書よりも分かりやすくその経緯が要約されていたので上記に引用させて頂いた。
ドイツ語の「Bildende Kunst」は「美術」、「Kunstgewerbe」は「工藝」と表された訳だけれど、推測として、西洋の文脈における流れでは、機能を求める工芸よりも純粋に美を求める美術の方が格式が上位に位置付けられているため、西洋美術史を学んだ工芸家は、工芸の価値を高めようとして美術を取り入れようとしたのではないかと考えられる。
ちょうどその頃、この美術工芸に対して一石を投じたのが柳宗悦であり、その思想を集約した民藝によって、民衆による素朴な工藝の良さは見直されたが、それでも美術工藝こそが工藝だという主張は未だにあると思う。この辺りはもう議論のしようがない。
僕の立場としては、根本的には民藝の考え方が好きだけれど、美術工藝にしても民藝にしても、いまいち生活の中で使いたいと思えないため、異なる方向性を歩もうと考えた。
工藝や美術という枠組みとは別に、茶の湯における道具がある。
特に茶器に関しては、安土桃山時代において一国と交換できる程の凄まじい価値を有した経緯があり、今でも陶芸家の多くは茶器を手掛け、茶の湯で使われることを目指している。
個人的にも憧れの領域ではあり、実際窯を購入して最初に手掛けたのは茶器だった。
しかし先日も書いた通り生活との剥離があまりにもあり、これでは美術工藝となんら変わりがないという結論に達した。それでも、茶器の質感や精神性は大変素晴らしく、これは受け継いでいきたいと願っている。
そこで思案の末に、ただの水やふつうの日本茶を飲むための器を手掛けることにした。
普段工業製品を手掛けているからこそ、雑味、歪み、不均一といった要素に大きな魅力を感じている。
再現できない、量産できない、そういったものこそが豊かなものだとつくづく思う。
もちろん、分野によっては工業製品でなければならないものがある。
それは水道管のような公共的な工業製品や医療機器で、それらには絶対的な品質と精度が必要。
だけど、整頓されただけの空間は、やはり味気ない。
こんなものを許容してしまう場にこそ、本質的な豊かさがあると思う。